2019年1月号
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◇コラム知技研(71) <本棚の一冊から(32)> 【遠藤恭一】
=『深淵の色は佐川幸義伝』津本陽著=
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昨年5月亡くなった津本陽の遺作である。大東流合気武術を極めた天才武術家の生涯と弟子たちが見たその素顔を余すところなく伝えた著作である。小説家が言葉で表現不可能な神技を伝えるという最も難しい難題に取組んだ本でもある。「深淵の色」とは著者によれば透明な見えない色、もしかすると力を表現していると思われる。どんな技かと言えば、立ち合い相手が佐川師範の身体の一部に触れるか、触れぬうちに身体ごと2-3メートル先に飛ばされてしまう。なぜそうなるのか飛ばされた人間にも判らない。見ている方も、不思議な技に驚く。即ち、単に師範の身体に触れるか触れぬうちに挑戦者の足が空中に浮揚して畳に体全体が叩きつけられる。又もっと不思議なのは投げ飛ばされた者が「それまで溜まっていたストレスや身体の疲労が投げ飛ばされたと同時に解消してしまう」と投げ飛ばされた弟子たちが異口同音に言う。
理由は全く不明であるという。一番弟子である木村達雄夫氏(筑波大学名誉教授)は「一週間で溜まった疲労が投げ飛ばされると身体から略完全に消滅してしまう」という。往路、道場に行くときは疲労困憊状態であっても復路は運動後の疲労がある筈なのに爽快な気分で家路につくという。なぜそうなるのかは誰も解明できていない。武術家佐川幸義(1902年-1998年)は95歳で亡くなる直前まで道場に立っていた。年齢を重ねると共にその合気の神髄は進化し続けたという。本人は体力の衰えを自覚していたが、どんな場合でもそうした力を出せる状態にあったという。ある時道場破りの様な人物が現れ師範と対峙した。やはり一瞬で投げ飛ばされたが起き上がって師範の後ろから飛び掛かった。然し、師範は振り向きもせず相手の飛び掛かりを防ぎ又投げ飛ばしてしまった。然も何事もなかった様に平然と席についたという。佐川師範は自分の持つ神技を後継者に継がせようとしてはいたが残念ながら師範の到達した境地まで達する人材は確保できなかった。それは佐川師範の自己を律する大変な精神力と自己鍛錬の成せるもので単に技術を伝えることでは完成しえない、それこそ深淵なものがあったからであろう。
佐川師範を導いた大東合気武術は武田惣角先生である。彼の武道遍歴も出て来る。この武田、佐川二人で大東合気の伝統が完成されたのである。「合気とは何か」との問いかけに佐川師範は「相手の力を抜いてしまう技術、相手を無力化する。足が大事だ」と端的に答えている。木村氏は具体例として、師範が椅子に座っている状況で師範から私の手を押してごらんと言われる。自分は立っているので上から強烈な力を加えた。すると師範の手は突然何の動意も感じられないまま上がっていく。私の力は消え失せていた。先生は私に両手を握らせたまま椅子から立ち上がり私を窓際まで追い詰めた。私は身体が浮いてしまい、後ほんの僅かの力を掛けられたら吹っ飛ばされてしまうとの感覚があった。こうした記述が各所に語られる。津本のこの著作ではその合気を流れや動きを見事に文章で表現しているが、その神髄はついに明かすことは出来ていない。なぜ立ち向かう相手の力を抜くことが出来るのか?謎のままである。
佐川幸義氏の家族やその生活についても克明に記されているが見事な人生に尽きるし、師を尊敬する弟子たちの息遣いも身近に感じられる作品である。
つづく
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◇コラム知技研(71) <本棚の一冊から(32)> 【遠藤恭一】
=『深淵の色は佐川幸義伝』津本陽著=
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昨年5月亡くなった津本陽の遺作である。大東流合気武術を極めた天才武術家の生涯と弟子たちが見たその素顔を余すところなく伝えた著作である。小説家が言葉で表現不可能な神技を伝えるという最も難しい難題に取組んだ本でもある。「深淵の色」とは著者によれば透明な見えない色、もしかすると力を表現していると思われる。どんな技かと言えば、立ち合い相手が佐川師範の身体の一部に触れるか、触れぬうちに身体ごと2-3メートル先に飛ばされてしまう。なぜそうなるのか飛ばされた人間にも判らない。見ている方も、不思議な技に驚く。即ち、単に師範の身体に触れるか触れぬうちに挑戦者の足が空中に浮揚して畳に体全体が叩きつけられる。又もっと不思議なのは投げ飛ばされた者が「それまで溜まっていたストレスや身体の疲労が投げ飛ばされたと同時に解消してしまう」と投げ飛ばされた弟子たちが異口同音に言う。
理由は全く不明であるという。一番弟子である木村達雄夫氏(筑波大学名誉教授)は「一週間で溜まった疲労が投げ飛ばされると身体から略完全に消滅してしまう」という。往路、道場に行くときは疲労困憊状態であっても復路は運動後の疲労がある筈なのに爽快な気分で家路につくという。なぜそうなるのかは誰も解明できていない。武術家佐川幸義(1902年-1998年)は95歳で亡くなる直前まで道場に立っていた。年齢を重ねると共にその合気の神髄は進化し続けたという。本人は体力の衰えを自覚していたが、どんな場合でもそうした力を出せる状態にあったという。ある時道場破りの様な人物が現れ師範と対峙した。やはり一瞬で投げ飛ばされたが起き上がって師範の後ろから飛び掛かった。然し、師範は振り向きもせず相手の飛び掛かりを防ぎ又投げ飛ばしてしまった。然も何事もなかった様に平然と席についたという。佐川師範は自分の持つ神技を後継者に継がせようとしてはいたが残念ながら師範の到達した境地まで達する人材は確保できなかった。それは佐川師範の自己を律する大変な精神力と自己鍛錬の成せるもので単に技術を伝えることでは完成しえない、それこそ深淵なものがあったからであろう。
佐川師範を導いた大東合気武術は武田惣角先生である。彼の武道遍歴も出て来る。この武田、佐川二人で大東合気の伝統が完成されたのである。「合気とは何か」との問いかけに佐川師範は「相手の力を抜いてしまう技術、相手を無力化する。足が大事だ」と端的に答えている。木村氏は具体例として、師範が椅子に座っている状況で師範から私の手を押してごらんと言われる。自分は立っているので上から強烈な力を加えた。すると師範の手は突然何の動意も感じられないまま上がっていく。私の力は消え失せていた。先生は私に両手を握らせたまま椅子から立ち上がり私を窓際まで追い詰めた。私は身体が浮いてしまい、後ほんの僅かの力を掛けられたら吹っ飛ばされてしまうとの感覚があった。こうした記述が各所に語られる。津本のこの著作ではその合気を流れや動きを見事に文章で表現しているが、その神髄はついに明かすことは出来ていない。なぜ立ち向かう相手の力を抜くことが出来るのか?謎のままである。
佐川幸義氏の家族やその生活についても克明に記されているが見事な人生に尽きるし、師を尊敬する弟子たちの息遣いも身近に感じられる作品である。
つづく