2019年5月号
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◇よろず評論(56) <岩手県大船渡の「恋し浜> 【鈴木迪雄】
◆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆
昭和60年(1985年)大船渡―一関間に小石浜駅が誕生した。数年後、ブランドホテルである「恋し浜」の知名度向上を求める漁業者達とロマンチックな駅名で集客向上を図る鉄道側の思いが一致し、恋愛成就の地として、駅名を「恋し浜」に変更する。綾里漁業小石浜青年部の話によると、ロマンチックはおじいさんが駅の開業を祝して唄を詠み、その中に「小石浜」を「恋し浜」ともじったという。
ある時、鉄道会社の本部長に、駅名を改名したら素敵ですねと、半分冗談混じりで言ったところ、その事が社長に伝わり、ノリノリになったようで、本来なら改名するのに二年以上かかるのが、たった半年で改名された。2009年7月のことだった。
ある年、鉄道マニアの男性と女性が「恋し浜」で結婚式をあげたエピソードがキッカケとなり、特産のホタテの貝を使った「恋愛成就」の願い事を書いた絵馬の奉納がはじまった。
この絵馬に願いごとを書いた人は、大半の人が叶ったという話が伝わるようになって、恋愛のパワースポットになる。
現在は、多くの人たちが絵巻に願いごとを書きに来ており、恋し浜駅にある鐘を二人で鳴らすと結ばれるといわれ、ピンクのポストやピンクの自動販売機が置かれており、恋し浜は恋愛が叶うことが他のパワースポットよりも高いと評判だという。
話は一寸古いが、北海道常呂町の女子カーリング選手の活躍に転じる。競技は10エンド制、五回を終えたハーフタイム中に食べるバナナやイチゴ。ソーダ水を飲みながら和気あいあいの場面が大写しされて、テレビ観戦者は釘付けとなる。競走中にピンチやチャンスが訪れても指令塔を中心に愛らしい顔で「そだね。そだね」とお互いに信じあっての笑顔で銅メダルを獲得した。
「そだね」「そだね」の三文字に託したスポーツマンシップ。底ぬけに明るい彼女たちの言動は語り継がれている。
脚光を浴びた北国の方言を背に、岩手県大船渡市は平成29年3月1日、JR中央線高円寺駅南口から徒歩五分の地に、「大船渡ふるさと交流センター・三陸SUN(さん)を開設した。首都圏在住の大船渡出身者や大船渡・岩手にゆかりのある人が、気軽に“岩手の物産品を買い求め、支援活動を通じて多くの人と人とのつながりによる絆が育まれている。新沼謙治さんをはじめ岩手出身の歌手が応援する店としてのPR、テレビ朝日・産経新聞・BS1でも紹介され」、午前11時から午後6時まで営業している。(但し月曜日と火曜日は定休日)昼には、日替わりランチも食べられる。
ケセンきらめき大学お山口康文学長は、上京時には必ず立ち寄って店長らにアドバイスをされる。開店して二年目を迎え、岩手出身者や大船渡にゆかりのある人、周辺の商店街を利用する買物客も立寄り賑わいを増している。 (了)
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◇コラム知技研(75) 「本棚の一冊から(35)」 【遠藤恭一】
=『壁の向こうの住人達』A.R.ホックシールド著=
◆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆
アメリカのトランプ大統領出現の背景を探った本は数多くある。この本もその1つである。然し、内容は社会学者である著者が、何百人もの南部人にインタビューして感じ取った内容を漏れなく書き上げたものであり、アメリカの生々しい人々の声を感じることが出来る。内容を短い書評として記載するのは難しい。その結論はディープサウスと呼ばれる
地域の市井の人々が持つ複雑な感情である。第二次世界大戦後の50・60年代に同地域に住む人々は輝かしい夢が実現できると信じていた。数代前に移民としてアメリカに渡り農業で基礎を築き工業化の波に乗って繁栄を築くと信じていた。この人々は70年代以降、大企業である化学工場、石油化学工業、最近ではシェールガス採掘等の公害垂れ流し(環境汚染・地震・激しい水質汚染によるがんの発生率の高さ)に直面する。川・湖はヘドロで汚染され、乳牛も乳を出さない。然し乍ら、住民達は声を挙げない。それは大企業が住民の雇用を確保しているからであり、また企業の自由な活動がアメリカの繁栄を支えていると信じているからでもある。この辺の事情は正直読んでいて実感できない。自国の繁栄の中で、ある程度自分達の生活が犠牲になっても良いとする感情は私にはどうも理解できない。勿論一部の住民は反対運動に立ち上がるが大部分は沈黙を守る。然し、「静かに待っても」こうした状況は改善しない。欧州各地からの白人移民は元々構造的にアフリカ大陸から来た黒人の上に位置することが当然として考えられて来た。
60年代のアメリカ公民権運動からアメリカ社会が大きく変貌した。黒人、中・南米やアジアからの移民が、従来から存在し確保されていた貧しい白人たちの階層的な立ち位置そのものを急速に変えてしまった。まるで「自国に暮らす異邦人」になって行く感情を味わうのである。更に、著者はこうした白人の人々の感情を次の様に表現する。『19世紀の貧しいい白人たちは、アメリカンドリームを待つ列のかなり後ろのほうに並んでいた。1970年代前半までは、他の人種やジェンダーが次々続々と前に「割り込んでくる」ことはなかった。再配分という考え方そのものが、プランテーション制度では禁忌だった』然し、南北戦争が勃発して南部は破れ荒廃し北部が南部諸州の政府に替えて自ら選んだ知事に統治させた。南部の人々はひと儲けをもくろむ連中が支配者たる北部の代理人としてやって来たと考えていた。それ以降北部から次々と新たな政策が齎され、オバマケア、地球温暖化対応、銃規制、人工中絶の権利等々南部の人々からすると南北戦争後の歴史から列の後ろで前に進むのを辛抱強く待っていたのに、である。著者は「そうした南部白人の辛抱強さは全く顧みられず、次々と前の列に割り込んでくる新たな人々に対し強烈な不満と絶望感が交錯している」と分析している。読了して感じるのは我々日本人が抱くアメリカのイメージとかけ離れた現実の姿であり、南部と北部の根深い対立、アメリカ合衆国内の大きな分裂である。トランプ大統領が支持される背景にこのグローバル化に対応し世界をリードする都市部と繁栄に取り残された地域の深い溝がこの大統領を生み出し、一定の支持が強く存在する背景であることが理解できる。錆びついたラスト・ステーツを描いた「ヒルビリー・エレジー」と合わせ読むとより立体的なアメリカ像が浮かび上がって来る。
つづく
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◇宇宙川柳 ・手前の太道(139) 【家元東柳】
◆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆
芭蕉の築いた俳句の世界「奥の細道」をも包摂した広大で自由な川柳宇宙を築こうと思い、「手前の太道
(ふとみち)」としています。以下の15句は毎月20年間私、家元東柳の作品です。お楽しみ下さい。
教室と横断歩道は手を上げて
花束も楽屋で余命数えてる
大樹に師と学徒集いて学林
満開の桜が勝った スマホ敗け
最初からリフォームみたいなビルが建ち
百貨店父さん預かり所盛況
一番星なれよ父との一番風呂
女は怖いと 女は言う
勝因は白い御飯とアスリート
お互に自分は耐えたと金婚式
★おまけの戯れ句、狂句、破礼句
四島もニ島も駄目で一島両断
千手観音個人メドレー金メダル
人生の な闇吸い込めブラックホール
防人の出陣囲む酒盛りよ
東大に何で私が 受けただけ
★狂句コーナー(家元東柳)
疲れ気味大川端でつい二献 酔いが覚めても河童天国
★今月の投句コーナー
加害者が西も東も居丈高(藤原恵一様)
笑う山小突いて巡るオスプレイ(藤原恵一様)
雪の坂無事抜け拍手バスツアー(藤原恵一様)
齢なりに明日語りたく去年今年(藤原恵一様)
★平成最後の「いろは川柳百句一人」 宇宙川柳家元東柳 のお知らせ
2000年より作句を始め、月に約100句作り、一万句を越えた中で「平明で語呂良く耳にいとおかし」ものを100句選び百人一首ならぬ「百句一人」を編みました。御希望の方はメールいただければメールでお送りします。お楽しみ下さい。
★世田谷区クリックフリーステージの御礼
4月28日(日)三茶キャロットシアタートラムでの世田谷区フリーステージで帰れソレント、オーソレミオとカタリの3曲を原調で歌う恐しさの中無事終わりました。聞きに来て下さった世田谷の友人の方々、連休頭なのに感謝!
★「くどう式発声講座」の御礼
5月12日(日)日暮里サニーホールで行われた「くどう式発声講座」での2曲でしたが、少々不調で聞きに来て下さった方すみません!
★ありどおろコンサートのお知らせ
6月28日(金)18:30~日暮里サニーホールのコンサートホールでの20:00過ぎ頃にシチリア民謡、ナポリ民謡、イタリア民謡の3曲を歌います。昨秋ナポリの世界遺産新城で一人でリサイタルを開き、少し成長した私の歌を聞いていただきたいので、是非ご連絡下されば幸いです。お待ちしております。
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㈱東綜合設計事務所 代表取締役 東 直彦
東京都中野区中野3-2-1 リバース中野601
TEL:03-3384-9301 FAX:03-3384-9380
E-mail:higaships@siren.ocn.ne.jp
URL :http://www.higaship.com
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◇ 田舎暮らし(192) <ヒマラヤ街道見聞録5> 【中野信吾】
=シャンボチェの丘=
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ナムチェの集落からパノラマルートでキャンヅマへ。右は深く刻まれた谷底をドウード・コシ河が流れている。左側の崖の上はシャンボチェの丘陵が形成されている。このルートで初めて前方にエヴェレスト、ローツェ、アマダブラムの絶景が一望でき、その圧巻に見惚れた。キャンヅマからクムジュンの集落を通過して最後の上り坂はきつかった。日本の高度差ならばすでに樹林帯は過ぎて岩石が露出している地点だと思うが、ここではまだ相当に高い地点まで樹木がある。標高で富士山よりも高いところにあるホテルエヴェレストビューまでは後わずか。何回となく呼吸を整えて登りきることができた。絶景の景色に支えられ、仲間の支援のおかげで念願達成! 感謝感激だ。
長年の念願が叶ったと有頂天になってはしゃぐことは禁物。行動はすべてスローで。靴紐を結んで急に頭を上げた途端、めまいがした。ゆっくりとした行動が必要なのを忘れたためだった。先述したように、高度順化で二泊は必要とガイドブックにも書かれているが、ナムチェまでは二泊(一日の行動目安は上り 300~400m 1,000mごとに休息日を設ける)は適応しているのだろうと思っていた。
翌日、シャンボチェの丘からクムジュン村までの散策ではシェルパ族、雪男などが展示している博物館などを見学。この見学は途中まで参加したのだが、帰路で上りが前日同様にキツイと思われたので個人的に中止したのが残念だった。しかし、ヤクの放牧場からマニ教の白い塔やそこからのびているタルチョ(五色の旗)が風になびいている様は、三方がヒマラヤの山塊に囲まれた丘陵なだけに、大自然が作り出した草原にしばし身を委ねられた至福でもあり、何物にも代えがたいものだった。
この丘を形成している山塊側面は切り立つ崖なのだが、人間が踏み固めた登山道以外に無数の縞模様が残されている。この縞模様はヤクが餌を求めて山肌を歩いた跡だという。一歩踏み外せば奈落の底へ落ちるのは必須だ。それにしてもよくここまで歩けるものだという驚きと、生きて行くために自然の厳しい環境に適応しているから当前だと思われているのか。とにかく自然の厳しさを唯唯として感じざるを得ない。
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◇古希のたわごと(2) 【石川啓司】
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=スポーツ系の部会=
前回のメルマガでは、どの稲門会にもある懇親の場としてスポーツ系の部会では、「上達するには指導者あっての楽しみ」に触れました。新宿稲門会の卓球の集いですから、あまり関心がないかもしれませんが、これについてお話します。
新宿稲門会をみると卓球を趣味とする会があります。メンバーは、「温泉卓球」から抜け出した方、学生時代に卓球の硬式で腕を鳴らした方も頼もしくいますが、ラージボール卓球を趣味とする方々です。他流試合に目覚めて精進している人もいます。
毎月木曜日、昼間に5、6名集まって、ラリーと試合形式でプレーを楽しんでいます。3年くらい続いています。健康維持が主の目的です。ラリーで相手に合わせて続かせたい。試合で相手より上回りたいと楽しんでいます。
新宿の卓球会場は、理工学部に近いです。やり方は硬式・ラージボールがあり、早大生、地域のさまざまな仲良しクラブ、仲良しの夫婦、親子、卓球教室のメンバーたちで一杯。なかでも試合制覇を目指してレッスンを受ける人たちは、専門で指導する人のレッスンを受けており、かれらの動きは激しい。技を磨いているという感じですが、実践中心の試合形式の練習をしています。
わたしたちの卓球ですが、健康卓球で、上手い人に付いていきたい、負かしたい。上手い人は負けたくないと頑張ります。仲間内ですから、上達の楽しみも限度があります。やはり物足りなくなります。
フォア-だけでなくバックでもきれいに正確に打ち返したい。基礎からやったら、もう少し正しいスイングが出来るのではないか。上手くなれるのではないか。基礎から教えてくれる人がいないか、指導してくれる人を待ち望んでいたのですが、最近、あるグループがわたしたちの卓球会場に練習の場を移してきました。そのメンバーに早稲田大学の卓球部に縁のあるひとが居ました。みなさんと親しくなり、その中で教え方の上手い人たちから、タイミングをみて、教えてもらえるようになりました。
教え方が上手いとはどういうことでしょうか。わたしに付いて来いという指導はそれだけでは用をなしません。教える方は上手くないといけませんが、レッスンを受ける側に自分の技の理屈を述べても、受ける側は上達しません。教える人は、ドリルの方法を持たねばなりません。また、それを受ける側の理解度に応じて、指導する技を待たねばなりません。
最近、卓球でそうしたことが出来る指導者に出会って、今までの殻をやぶって、少し上手くなった感じです。
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★早稲田大学公開講座・展示行事に関する情報はこちらのサイトからご覧ください。
→ 早稲田イヴェント
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◇よろず評論(56) <岩手県大船渡の「恋し浜> 【鈴木迪雄】
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昭和60年(1985年)大船渡―一関間に小石浜駅が誕生した。数年後、ブランドホテルである「恋し浜」の知名度向上を求める漁業者達とロマンチックな駅名で集客向上を図る鉄道側の思いが一致し、恋愛成就の地として、駅名を「恋し浜」に変更する。綾里漁業小石浜青年部の話によると、ロマンチックはおじいさんが駅の開業を祝して唄を詠み、その中に「小石浜」を「恋し浜」ともじったという。
ある時、鉄道会社の本部長に、駅名を改名したら素敵ですねと、半分冗談混じりで言ったところ、その事が社長に伝わり、ノリノリになったようで、本来なら改名するのに二年以上かかるのが、たった半年で改名された。2009年7月のことだった。
ある年、鉄道マニアの男性と女性が「恋し浜」で結婚式をあげたエピソードがキッカケとなり、特産のホタテの貝を使った「恋愛成就」の願い事を書いた絵馬の奉納がはじまった。
この絵馬に願いごとを書いた人は、大半の人が叶ったという話が伝わるようになって、恋愛のパワースポットになる。
現在は、多くの人たちが絵巻に願いごとを書きに来ており、恋し浜駅にある鐘を二人で鳴らすと結ばれるといわれ、ピンクのポストやピンクの自動販売機が置かれており、恋し浜は恋愛が叶うことが他のパワースポットよりも高いと評判だという。
話は一寸古いが、北海道常呂町の女子カーリング選手の活躍に転じる。競技は10エンド制、五回を終えたハーフタイム中に食べるバナナやイチゴ。ソーダ水を飲みながら和気あいあいの場面が大写しされて、テレビ観戦者は釘付けとなる。競走中にピンチやチャンスが訪れても指令塔を中心に愛らしい顔で「そだね。そだね」とお互いに信じあっての笑顔で銅メダルを獲得した。
「そだね」「そだね」の三文字に託したスポーツマンシップ。底ぬけに明るい彼女たちの言動は語り継がれている。
脚光を浴びた北国の方言を背に、岩手県大船渡市は平成29年3月1日、JR中央線高円寺駅南口から徒歩五分の地に、「大船渡ふるさと交流センター・三陸SUN(さん)を開設した。首都圏在住の大船渡出身者や大船渡・岩手にゆかりのある人が、気軽に“岩手の物産品を買い求め、支援活動を通じて多くの人と人とのつながりによる絆が育まれている。新沼謙治さんをはじめ岩手出身の歌手が応援する店としてのPR、テレビ朝日・産経新聞・BS1でも紹介され」、午前11時から午後6時まで営業している。(但し月曜日と火曜日は定休日)昼には、日替わりランチも食べられる。
ケセンきらめき大学お山口康文学長は、上京時には必ず立ち寄って店長らにアドバイスをされる。開店して二年目を迎え、岩手出身者や大船渡にゆかりのある人、周辺の商店街を利用する買物客も立寄り賑わいを増している。 (了)
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◇コラム知技研(75) 「本棚の一冊から(35)」 【遠藤恭一】
=『壁の向こうの住人達』A.R.ホックシールド著=
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アメリカのトランプ大統領出現の背景を探った本は数多くある。この本もその1つである。然し、内容は社会学者である著者が、何百人もの南部人にインタビューして感じ取った内容を漏れなく書き上げたものであり、アメリカの生々しい人々の声を感じることが出来る。内容を短い書評として記載するのは難しい。その結論はディープサウスと呼ばれる
地域の市井の人々が持つ複雑な感情である。第二次世界大戦後の50・60年代に同地域に住む人々は輝かしい夢が実現できると信じていた。数代前に移民としてアメリカに渡り農業で基礎を築き工業化の波に乗って繁栄を築くと信じていた。この人々は70年代以降、大企業である化学工場、石油化学工業、最近ではシェールガス採掘等の公害垂れ流し(環境汚染・地震・激しい水質汚染によるがんの発生率の高さ)に直面する。川・湖はヘドロで汚染され、乳牛も乳を出さない。然し乍ら、住民達は声を挙げない。それは大企業が住民の雇用を確保しているからであり、また企業の自由な活動がアメリカの繁栄を支えていると信じているからでもある。この辺の事情は正直読んでいて実感できない。自国の繁栄の中で、ある程度自分達の生活が犠牲になっても良いとする感情は私にはどうも理解できない。勿論一部の住民は反対運動に立ち上がるが大部分は沈黙を守る。然し、「静かに待っても」こうした状況は改善しない。欧州各地からの白人移民は元々構造的にアフリカ大陸から来た黒人の上に位置することが当然として考えられて来た。
60年代のアメリカ公民権運動からアメリカ社会が大きく変貌した。黒人、中・南米やアジアからの移民が、従来から存在し確保されていた貧しい白人たちの階層的な立ち位置そのものを急速に変えてしまった。まるで「自国に暮らす異邦人」になって行く感情を味わうのである。更に、著者はこうした白人の人々の感情を次の様に表現する。『19世紀の貧しいい白人たちは、アメリカンドリームを待つ列のかなり後ろのほうに並んでいた。1970年代前半までは、他の人種やジェンダーが次々続々と前に「割り込んでくる」ことはなかった。再配分という考え方そのものが、プランテーション制度では禁忌だった』然し、南北戦争が勃発して南部は破れ荒廃し北部が南部諸州の政府に替えて自ら選んだ知事に統治させた。南部の人々はひと儲けをもくろむ連中が支配者たる北部の代理人としてやって来たと考えていた。それ以降北部から次々と新たな政策が齎され、オバマケア、地球温暖化対応、銃規制、人工中絶の権利等々南部の人々からすると南北戦争後の歴史から列の後ろで前に進むのを辛抱強く待っていたのに、である。著者は「そうした南部白人の辛抱強さは全く顧みられず、次々と前の列に割り込んでくる新たな人々に対し強烈な不満と絶望感が交錯している」と分析している。読了して感じるのは我々日本人が抱くアメリカのイメージとかけ離れた現実の姿であり、南部と北部の根深い対立、アメリカ合衆国内の大きな分裂である。トランプ大統領が支持される背景にこのグローバル化に対応し世界をリードする都市部と繁栄に取り残された地域の深い溝がこの大統領を生み出し、一定の支持が強く存在する背景であることが理解できる。錆びついたラスト・ステーツを描いた「ヒルビリー・エレジー」と合わせ読むとより立体的なアメリカ像が浮かび上がって来る。
つづく
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◇宇宙川柳 ・手前の太道(139) 【家元東柳】
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芭蕉の築いた俳句の世界「奥の細道」をも包摂した広大で自由な川柳宇宙を築こうと思い、「手前の太道
(ふとみち)」としています。以下の15句は毎月20年間私、家元東柳の作品です。お楽しみ下さい。
教室と横断歩道は手を上げて
花束も楽屋で余命数えてる
大樹に師と学徒集いて学林
満開の桜が勝った スマホ敗け
最初からリフォームみたいなビルが建ち
百貨店父さん預かり所盛況
一番星なれよ父との一番風呂
女は怖いと 女は言う
勝因は白い御飯とアスリート
お互に自分は耐えたと金婚式
★おまけの戯れ句、狂句、破礼句
四島もニ島も駄目で一島両断
千手観音個人メドレー金メダル
人生の な闇吸い込めブラックホール
防人の出陣囲む酒盛りよ
東大に何で私が 受けただけ
★狂句コーナー(家元東柳)
疲れ気味大川端でつい二献 酔いが覚めても河童天国
★今月の投句コーナー
加害者が西も東も居丈高(藤原恵一様)
笑う山小突いて巡るオスプレイ(藤原恵一様)
雪の坂無事抜け拍手バスツアー(藤原恵一様)
齢なりに明日語りたく去年今年(藤原恵一様)
★平成最後の「いろは川柳百句一人」 宇宙川柳家元東柳 のお知らせ
2000年より作句を始め、月に約100句作り、一万句を越えた中で「平明で語呂良く耳にいとおかし」ものを100句選び百人一首ならぬ「百句一人」を編みました。御希望の方はメールいただければメールでお送りします。お楽しみ下さい。
★世田谷区クリックフリーステージの御礼
4月28日(日)三茶キャロットシアタートラムでの世田谷区フリーステージで帰れソレント、オーソレミオとカタリの3曲を原調で歌う恐しさの中無事終わりました。聞きに来て下さった世田谷の友人の方々、連休頭なのに感謝!
★「くどう式発声講座」の御礼
5月12日(日)日暮里サニーホールで行われた「くどう式発声講座」での2曲でしたが、少々不調で聞きに来て下さった方すみません!
★ありどおろコンサートのお知らせ
6月28日(金)18:30~日暮里サニーホールのコンサートホールでの20:00過ぎ頃にシチリア民謡、ナポリ民謡、イタリア民謡の3曲を歌います。昨秋ナポリの世界遺産新城で一人でリサイタルを開き、少し成長した私の歌を聞いていただきたいので、是非ご連絡下されば幸いです。お待ちしております。
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㈱東綜合設計事務所 代表取締役 東 直彦
東京都中野区中野3-2-1 リバース中野601
TEL:03-3384-9301 FAX:03-3384-9380
E-mail:higaships@siren.ocn.ne.jp
URL :http://www.higaship.com
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◇ 田舎暮らし(192) <ヒマラヤ街道見聞録5> 【中野信吾】
=シャンボチェの丘=
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ナムチェの集落からパノラマルートでキャンヅマへ。右は深く刻まれた谷底をドウード・コシ河が流れている。左側の崖の上はシャンボチェの丘陵が形成されている。このルートで初めて前方にエヴェレスト、ローツェ、アマダブラムの絶景が一望でき、その圧巻に見惚れた。キャンヅマからクムジュンの集落を通過して最後の上り坂はきつかった。日本の高度差ならばすでに樹林帯は過ぎて岩石が露出している地点だと思うが、ここではまだ相当に高い地点まで樹木がある。標高で富士山よりも高いところにあるホテルエヴェレストビューまでは後わずか。何回となく呼吸を整えて登りきることができた。絶景の景色に支えられ、仲間の支援のおかげで念願達成! 感謝感激だ。
長年の念願が叶ったと有頂天になってはしゃぐことは禁物。行動はすべてスローで。靴紐を結んで急に頭を上げた途端、めまいがした。ゆっくりとした行動が必要なのを忘れたためだった。先述したように、高度順化で二泊は必要とガイドブックにも書かれているが、ナムチェまでは二泊(一日の行動目安は上り 300~400m 1,000mごとに休息日を設ける)は適応しているのだろうと思っていた。
翌日、シャンボチェの丘からクムジュン村までの散策ではシェルパ族、雪男などが展示している博物館などを見学。この見学は途中まで参加したのだが、帰路で上りが前日同様にキツイと思われたので個人的に中止したのが残念だった。しかし、ヤクの放牧場からマニ教の白い塔やそこからのびているタルチョ(五色の旗)が風になびいている様は、三方がヒマラヤの山塊に囲まれた丘陵なだけに、大自然が作り出した草原にしばし身を委ねられた至福でもあり、何物にも代えがたいものだった。
この丘を形成している山塊側面は切り立つ崖なのだが、人間が踏み固めた登山道以外に無数の縞模様が残されている。この縞模様はヤクが餌を求めて山肌を歩いた跡だという。一歩踏み外せば奈落の底へ落ちるのは必須だ。それにしてもよくここまで歩けるものだという驚きと、生きて行くために自然の厳しい環境に適応しているから当前だと思われているのか。とにかく自然の厳しさを唯唯として感じざるを得ない。
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◇古希のたわごと(2) 【石川啓司】
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=スポーツ系の部会=
前回のメルマガでは、どの稲門会にもある懇親の場としてスポーツ系の部会では、「上達するには指導者あっての楽しみ」に触れました。新宿稲門会の卓球の集いですから、あまり関心がないかもしれませんが、これについてお話します。
新宿稲門会をみると卓球を趣味とする会があります。メンバーは、「温泉卓球」から抜け出した方、学生時代に卓球の硬式で腕を鳴らした方も頼もしくいますが、ラージボール卓球を趣味とする方々です。他流試合に目覚めて精進している人もいます。
毎月木曜日、昼間に5、6名集まって、ラリーと試合形式でプレーを楽しんでいます。3年くらい続いています。健康維持が主の目的です。ラリーで相手に合わせて続かせたい。試合で相手より上回りたいと楽しんでいます。
新宿の卓球会場は、理工学部に近いです。やり方は硬式・ラージボールがあり、早大生、地域のさまざまな仲良しクラブ、仲良しの夫婦、親子、卓球教室のメンバーたちで一杯。なかでも試合制覇を目指してレッスンを受ける人たちは、専門で指導する人のレッスンを受けており、かれらの動きは激しい。技を磨いているという感じですが、実践中心の試合形式の練習をしています。
わたしたちの卓球ですが、健康卓球で、上手い人に付いていきたい、負かしたい。上手い人は負けたくないと頑張ります。仲間内ですから、上達の楽しみも限度があります。やはり物足りなくなります。
フォア-だけでなくバックでもきれいに正確に打ち返したい。基礎からやったら、もう少し正しいスイングが出来るのではないか。上手くなれるのではないか。基礎から教えてくれる人がいないか、指導してくれる人を待ち望んでいたのですが、最近、あるグループがわたしたちの卓球会場に練習の場を移してきました。そのメンバーに早稲田大学の卓球部に縁のあるひとが居ました。みなさんと親しくなり、その中で教え方の上手い人たちから、タイミングをみて、教えてもらえるようになりました。
教え方が上手いとはどういうことでしょうか。わたしに付いて来いという指導はそれだけでは用をなしません。教える方は上手くないといけませんが、レッスンを受ける側に自分の技の理屈を述べても、受ける側は上達しません。教える人は、ドリルの方法を持たねばなりません。また、それを受ける側の理解度に応じて、指導する技を待たねばなりません。
最近、卓球でそうしたことが出来る指導者に出会って、今までの殻をやぶって、少し上手くなった感じです。
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