2019年11月号
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◇コラム知技研(81) 「本棚の一冊から(41)」 【遠藤恭一】
=『辺境中国』ディヴィド・アイマー著=
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英国のジャーナリストが中国の辺境を旅するノンフィクション物語である。サブタイトルに「新疆、チベット、雲南、東北部と行く」とある。アイマー氏は1988年に初めて中国を訪れて以来北京でジャーナリスト活動をして来た人物である。中国共産党の支配が国の辺境(国境を接する距離は実に2万キロ以上で世界最長)、地域にどの様な影響を与えているかに興味を持ち一人辺境の地を訪れる。そこに比較長く滞在して生活する人々と触れ合い生の声を聴くことに専念する。共産党の縛りが遠く及ばないこうした辺境の場で、少数民族がどの様な声を挙げているのかを丹念に拾い上げている。
著者は北京で生活する中で、中国は外部からの影響を遮断された国であるとの考え方に異議を唱える。周囲から切り離されるどころか近隣諸国と分かちがたく結びついていると感じたからだという。中国が国境を接している国は14ヶ国でこれはどの国よりも多く、また世界の紛争地帯であり予断を許さない地域でもある。アフガニスタン、パキスタン、インド、北朝鮮、それに中央アジア諸国である。この地域は国境の両側で国内紛争が国境の外に溢れでる。中国側のこうした地域はきらびやかな北京や上海とは全く別の中国である。各地を訪れて、その地域に住む民族、漢民族以外の人々が共産党の経済活動の拡大から漢民族の進出に押され、寧ろ押し出されて更なる辺境へ向かっている事実を伝える。苦しい立場に追いやられている実態を余すことなく書き留められている。
新疆ではイスラム教徒のウイグル人が虐げられている。チベットでは漢民族の進出が急拡大の一途を辿りチベット仏教の僧侶も迫害されている。漢民族が生活する地域とチベット人たちが暮らす地域は完全に分離されてしまい、中国軍や警察がチベット人地域での人々の動きを監視カメラで捉えている。一方、東北部北朝鮮との国境の町丹東では、中国人観光客が鴨緑江の対岸にある新義州の街並みをカメラに収める。彼らの興味は時が止まった様な、即ち、中国の30・40年前の姿、進歩がみられない毛沢東時代へのノスタルジーに浸る機会でもある。著者によると中国は北朝鮮との外交は外務省が担当していない。それは北朝鮮を独立した国として扱っていないことの証明であり、北朝鮮外交は共産党・人民解放軍・商務部が連携して対応しているという。北朝鮮はすでに中華帝国に合併されたかの様だ。北朝鮮からの難民は同胞である朝鮮人が多い北方の𠮷林省の最奥地域へ渡るという。
著者は淡々と各地で出会った様々な出来事や人との出会いを綴る。広大な中国の断面を切り取って話は展開する。然し、昔の中国故事ではないが、「郡盲評象(盲人集まって象を撫ぜで語る)」ではないがあまりに大きな帝国の一部を切り取って全体を把握するのは無理があるようにも思える。我が国で報道される中国もその一面に過ぎず、他民族国家と少数民族への隔離・弾圧も存在する。著者は中国の言論弾圧、少数民族への異様な差別と弾圧、宗教・信仰の自由剥奪等、こうした政策に鋭い批判を展開している。私は現役だった2011年まで10数回中国を訪問し北京、上海は勿論、ハルピン、吉林の東北部、西の四川省の成都、あるいは湖南省の長沙、広東等各地を回ったが、気候・風土・食生活の違い、各地域の人々の考え方の違いに驚いた経験がある。「上に方針あれば下に対策あり」との印象を強く持ったことが思い出される。中国はどこに向かって行くのか?今後もこの国の動向から目が離せない。 つづく
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◇宇宙川柳 ・手前の太道(145) 【家元東柳】
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芭蕉の築いた俳句の世界「奥の細道」をも包摂した広大で自由な川柳宇宙を築こうと思い、「手前の太道(ふとみち)」としています。
杯サワー君の瞳はレモン月
百億年人類正に悪獣の王
桜待つ人が桜を待つように
人の縁仲人結んで神解き
洞窟で想い宇宙に発信
ボクよりもママはスマホが好きみたい
唯一に不変なものは 変化なり
点滴のむこうに祖父の立ち姿
雨宿りスマンと言ったが猫は去り
翔ぶ為か下りる為か滑走路
★おまけの戯れ句、狂句、破礼句
胃カメラと大腸カメラの試食会
ジイジイがじじいになって「祖父です」に
食足りて礼節足りず身が太り
姿より気は確かに塚原卜伝
浸み入るは人の情けと情け無さ
★今月リメール(遠藤智様)
「今さっき別れた自分と擦れ違い」家元10月号
「これはSFの世界ですね」(遠藤智様)
子供時代の自分や年老いた自分と時々擦れ違いますが先日脱皮したつもりの「イヤな自分」と又擦れ違い、うんざりしました。(家元)
★ありどおろオーケストラ・ガラコンサートの「ブラボー券」のお知らせ
11月28日(木)渋谷サクラホールのありどおろガラコンサートの 18:00~の終盤に出演します。なるべくオーケストラのスケールで歌えたらと思っています。御希望の方枚数を御連絡下さい。大勢の方の御来場をお待ちしています。4,500円のところ、ブラボーを言って下さる方1,000円/人、拍手だけの方2,000円/人
尚客演として、世界的ソプラノ テオドッシュウが出演します。

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㈱東綜合設計事務所 代表取締役 東 直彦
東京都中野区中野3-2-1 リバース中野601
TEL:03-3384-9301 FAX:03-3384-9380
E-mail:higaships@siren.ocn.ne.jp
URL :http://www.higaship.com
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◇ 田舎暮らし(198)<台風19号と我が家の被害> 【中野信吾】
◆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆
前回に引き続いて現地の報告をする。
信州への交通事情は、高速道路がまだ松井田妙義―佐久間は不通であった。それでもと思って、勇を鼓して昼過ぎに出かけた。台風の影響だったのか高速道はいつもと違って混雑はなかった。下仁田経由のR254は内山峠を越えるもので、このルートは不通でなかった。いつもよりも対向する自動車の交通量は多く感ぜられたが、高速道のう回路としての役割を果たしていた。群馬県側の山の斜面で数か所が沢の水と一緒に流れ出た土砂の痕跡があったぐらいだった。むしろ下仁田の低い平地の方が被害は大きかったようだ。
県境の長いトンネルを抜けた長野県側は10年ぐらい前に台風の被害で山の斜面の崩落跡が見られたが、今回は見当たらなかった。だが、道路に面しての沢筋から流れ込む箇所などは一時的な出水の箇所が見受けられた。国道側から見た周囲の山容にも大きな変化が見受けられなかった。千曲川に接続する上流の一級河川・滑津川(なめづがわ)は前回の氾濫で河川改修工事が終わっているはずなのだが、中途半端だったのかもしれない。上流の関東山地への降雨量は想定以上に大量の雨を降らせた。この河川は浸水想定のハザードマップが作られてなかった箇所だという。大きな河川の千曲川に接続する中小の河川への逆流―越水が被害を大きくさせたのだろう。下流域の長野盆地の堤防決壊も上流域の想定外の雨量がもたらしたものだろう。
その後、新聞で報じられた河川の氾濫の対象で千曲川の流域の一つ滑津川が未整備だということが報じられていた。記憶では、河川改修工事は大きな所は終わっていたのかもしれないが、それよりも小さな沢から流れ込む沢筋の河川はなおざりにされていたものが、またまた露出したものだった。近所の人から「ようやくこの場所が改修工事の対象になって工事が行われる」という話だった。地元では過去何回も氾濫を起こしていた涸れた沢の河川で知られていた。ようやく浸水想定範囲の対象になったわけだ。河川の水位情報で流域雨量が溢水する箇所として市が「洪水ハザードマップ」を公表していたにもかかわらず「漏れて」? いたわけだったのか。市の中心部から離れた所では、政治力学も届かない場所だったからなのか。被害があってから改修工事の対象に格上げされたわけだ。我が家の被害は床下浸水で、水の引いた床下を10分ぐらいの「石灰消毒」をして一件落着。“災害は忘れた頃にやってくる”とはよく言ったものだ。
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◇古希のたわごと(7) =ゴルフ練習 中野時代それ以前= 【石川啓司】
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実は、市井のレッスン場に通ったのは、ゴルフを始めた時に高田馬場のビッグボックス、新宿駅小田急ハルクである。それぞれ10人程度の授業では、教えられる方には限界はある。それから中野時代の個人レッスンがある。3つのレッスン教室を経験したが、すっきり行かなかった。
やはりゴルフの基本、グリップ、アドレス、テイクバック、飛球線に沿ったスイング、インパクト、コースマネージメントは、“体系的に”その都度教えてくれないと頭に入らないし、身体に染みつかない。
始めた時、どう打って良いか分からずにいる。空振りをする、嫌だからいろいろスイングをいじる。先輩にも習う。ホールに近づきたいので、強打する。スライスする。たまに上手く飛ぶが、林、斜面からの脱出と忙しい。ちょろ、ダフり、トップ、シャンク、天ぷらと、パットも3~4と良いことなし。
多分これでは、108煩悩を切れない。ヘタの蓄積である。
このとき『キャスティング』の癖は、ゴルフを始めた時に、基本、両腕を円運動(半円?)でボールに当てに行くが、当たらないからと言って、右手を使い出すと容易に治らない。前傾をもう少し前にするのも良いのだが。基本のスイングに立たないからである。たまには真っ直ぐ飛ぶから基本の練習がなおざりである。チップインバーディも、紛れのホールインワンもある。しかしスコアは本物ではない。
「たかがゴルフ」、付き合い程度にやるのだから、上達しなくても、そこそこのラッキー・ショットがあれば楽しいのだ、と続けるのもまた良し。エンジョイ・ゴルフも良し。
「されどゴルフ」、練習と上達する糸口が見えると、ゴルフは上達するし、楽しくなる。
100をなかなか切れないと、若いうちは未だ元気があるが、年を取ってくると、上達を諦めるかも知れない。
もったいないが、染みついた癖となかなおさらばできない。『キャスティング』とおさらばするにはどうするのだ!
(続く)
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◇よろず評論(62) <お伊勢の森> 【鈴木迪雄】
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阿佐ヶ谷北1-25にある阿佐ヶ谷天祖神社(現在の神明宮)の旧社地がお伊勢の森と呼ばれる一帯で、阿佐ヶ谷駅北口から中野駅北口のサンプラザの前まで走る関東バスの停留所がその名を残す。
杉森中学校の一角に立つ案内板によると、「江戸名所図会には、12代景行天皇44年に日本武尊が蝦夷を征伐して凱旋の時、ここに休まれたので、尊の武功を慕って社をつくり神明宮としたと言う。
また、その後、建久年間(1190~1198)この土地に住んだ坂井兵部という人が伊勢神宮の参拝に出かけ、いまの三重県の能保野(のぼの)に泊まった夜、大神宮のお告げあり、伊勢の宮川から持ち帰った霊石を社に安置して御神体にしたとも書かれている。
祭神が「天照大神」で伊勢神宮と同じこと路から、土地の人は旧社地を「元伊瀬」と呼んでいた。その後も「お伊勢の森」といって親しまれる。
また、今の中野区役所から近い四季の森公園にあった通信隊の兵士がラッパの練習にきたのでラッパの森」とも呼んでいた。
天祖神社旧地と彫られた玉名と角桂形記念碑は神明宮に安置されている。
話は変わって、私は来年1月、米寿を迎える。生まれ東京都府豊多摩郡野方町大字上沼袋。
昭和19年3月、東京都啓明国民学校を卒業。
中学生となって戦時下の空襲を経験し、艦載機の機銃掃射の流れ弾で同級生が死亡。父母の郷里山口県三田尻に疎開して妹と海岸で遊んでいたところ艦載機が近くの飛行場に襲来し、あわてて岩陰に身を潜めた。急な疎開のため通学に徒歩一時間の曹洞宗系中学に編入したが、僧侶養成校のため同級生は三才年上の兄貴ばかり。ある日授業の前に同級生の一人が「お前は生意気だ」といって、唾を私の顔にかけた。身長の低い私は、すかさず平手を返した。級を制したからか級長となり思い出ある疎開地での生活だった。 おわり
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★早稲田大学公開講座・展示行事に関する情報はこちらのサイトからご覧ください。
→ 早稲田イヴェント
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◇コラム知技研(81) 「本棚の一冊から(41)」 【遠藤恭一】
=『辺境中国』ディヴィド・アイマー著=
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英国のジャーナリストが中国の辺境を旅するノンフィクション物語である。サブタイトルに「新疆、チベット、雲南、東北部と行く」とある。アイマー氏は1988年に初めて中国を訪れて以来北京でジャーナリスト活動をして来た人物である。中国共産党の支配が国の辺境(国境を接する距離は実に2万キロ以上で世界最長)、地域にどの様な影響を与えているかに興味を持ち一人辺境の地を訪れる。そこに比較長く滞在して生活する人々と触れ合い生の声を聴くことに専念する。共産党の縛りが遠く及ばないこうした辺境の場で、少数民族がどの様な声を挙げているのかを丹念に拾い上げている。
著者は北京で生活する中で、中国は外部からの影響を遮断された国であるとの考え方に異議を唱える。周囲から切り離されるどころか近隣諸国と分かちがたく結びついていると感じたからだという。中国が国境を接している国は14ヶ国でこれはどの国よりも多く、また世界の紛争地帯であり予断を許さない地域でもある。アフガニスタン、パキスタン、インド、北朝鮮、それに中央アジア諸国である。この地域は国境の両側で国内紛争が国境の外に溢れでる。中国側のこうした地域はきらびやかな北京や上海とは全く別の中国である。各地を訪れて、その地域に住む民族、漢民族以外の人々が共産党の経済活動の拡大から漢民族の進出に押され、寧ろ押し出されて更なる辺境へ向かっている事実を伝える。苦しい立場に追いやられている実態を余すことなく書き留められている。
新疆ではイスラム教徒のウイグル人が虐げられている。チベットでは漢民族の進出が急拡大の一途を辿りチベット仏教の僧侶も迫害されている。漢民族が生活する地域とチベット人たちが暮らす地域は完全に分離されてしまい、中国軍や警察がチベット人地域での人々の動きを監視カメラで捉えている。一方、東北部北朝鮮との国境の町丹東では、中国人観光客が鴨緑江の対岸にある新義州の街並みをカメラに収める。彼らの興味は時が止まった様な、即ち、中国の30・40年前の姿、進歩がみられない毛沢東時代へのノスタルジーに浸る機会でもある。著者によると中国は北朝鮮との外交は外務省が担当していない。それは北朝鮮を独立した国として扱っていないことの証明であり、北朝鮮外交は共産党・人民解放軍・商務部が連携して対応しているという。北朝鮮はすでに中華帝国に合併されたかの様だ。北朝鮮からの難民は同胞である朝鮮人が多い北方の𠮷林省の最奥地域へ渡るという。
著者は淡々と各地で出会った様々な出来事や人との出会いを綴る。広大な中国の断面を切り取って話は展開する。然し、昔の中国故事ではないが、「郡盲評象(盲人集まって象を撫ぜで語る)」ではないがあまりに大きな帝国の一部を切り取って全体を把握するのは無理があるようにも思える。我が国で報道される中国もその一面に過ぎず、他民族国家と少数民族への隔離・弾圧も存在する。著者は中国の言論弾圧、少数民族への異様な差別と弾圧、宗教・信仰の自由剥奪等、こうした政策に鋭い批判を展開している。私は現役だった2011年まで10数回中国を訪問し北京、上海は勿論、ハルピン、吉林の東北部、西の四川省の成都、あるいは湖南省の長沙、広東等各地を回ったが、気候・風土・食生活の違い、各地域の人々の考え方の違いに驚いた経験がある。「上に方針あれば下に対策あり」との印象を強く持ったことが思い出される。中国はどこに向かって行くのか?今後もこの国の動向から目が離せない。 つづく
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◇宇宙川柳 ・手前の太道(145) 【家元東柳】
◆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆
芭蕉の築いた俳句の世界「奥の細道」をも包摂した広大で自由な川柳宇宙を築こうと思い、「手前の太道(ふとみち)」としています。
杯サワー君の瞳はレモン月
百億年人類正に悪獣の王
桜待つ人が桜を待つように
人の縁仲人結んで神解き
洞窟で想い宇宙に発信
ボクよりもママはスマホが好きみたい
唯一に不変なものは 変化なり
点滴のむこうに祖父の立ち姿
雨宿りスマンと言ったが猫は去り
翔ぶ為か下りる為か滑走路
★おまけの戯れ句、狂句、破礼句
胃カメラと大腸カメラの試食会
ジイジイがじじいになって「祖父です」に
食足りて礼節足りず身が太り
姿より気は確かに塚原卜伝
浸み入るは人の情けと情け無さ
★今月リメール(遠藤智様)
「今さっき別れた自分と擦れ違い」家元10月号
「これはSFの世界ですね」(遠藤智様)
子供時代の自分や年老いた自分と時々擦れ違いますが先日脱皮したつもりの「イヤな自分」と又擦れ違い、うんざりしました。(家元)
★ありどおろオーケストラ・ガラコンサートの「ブラボー券」のお知らせ
11月28日(木)渋谷サクラホールのありどおろガラコンサートの 18:00~の終盤に出演します。なるべくオーケストラのスケールで歌えたらと思っています。御希望の方枚数を御連絡下さい。大勢の方の御来場をお待ちしています。4,500円のところ、ブラボーを言って下さる方1,000円/人、拍手だけの方2,000円/人
尚客演として、世界的ソプラノ テオドッシュウが出演します。

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㈱東綜合設計事務所 代表取締役 東 直彦
東京都中野区中野3-2-1 リバース中野601
TEL:03-3384-9301 FAX:03-3384-9380
E-mail:higaships@siren.ocn.ne.jp
URL :http://www.higaship.com
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◇ 田舎暮らし(198)<台風19号と我が家の被害> 【中野信吾】
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前回に引き続いて現地の報告をする。
信州への交通事情は、高速道路がまだ松井田妙義―佐久間は不通であった。それでもと思って、勇を鼓して昼過ぎに出かけた。台風の影響だったのか高速道はいつもと違って混雑はなかった。下仁田経由のR254は内山峠を越えるもので、このルートは不通でなかった。いつもよりも対向する自動車の交通量は多く感ぜられたが、高速道のう回路としての役割を果たしていた。群馬県側の山の斜面で数か所が沢の水と一緒に流れ出た土砂の痕跡があったぐらいだった。むしろ下仁田の低い平地の方が被害は大きかったようだ。
県境の長いトンネルを抜けた長野県側は10年ぐらい前に台風の被害で山の斜面の崩落跡が見られたが、今回は見当たらなかった。だが、道路に面しての沢筋から流れ込む箇所などは一時的な出水の箇所が見受けられた。国道側から見た周囲の山容にも大きな変化が見受けられなかった。千曲川に接続する上流の一級河川・滑津川(なめづがわ)は前回の氾濫で河川改修工事が終わっているはずなのだが、中途半端だったのかもしれない。上流の関東山地への降雨量は想定以上に大量の雨を降らせた。この河川は浸水想定のハザードマップが作られてなかった箇所だという。大きな河川の千曲川に接続する中小の河川への逆流―越水が被害を大きくさせたのだろう。下流域の長野盆地の堤防決壊も上流域の想定外の雨量がもたらしたものだろう。
その後、新聞で報じられた河川の氾濫の対象で千曲川の流域の一つ滑津川が未整備だということが報じられていた。記憶では、河川改修工事は大きな所は終わっていたのかもしれないが、それよりも小さな沢から流れ込む沢筋の河川はなおざりにされていたものが、またまた露出したものだった。近所の人から「ようやくこの場所が改修工事の対象になって工事が行われる」という話だった。地元では過去何回も氾濫を起こしていた涸れた沢の河川で知られていた。ようやく浸水想定範囲の対象になったわけだ。河川の水位情報で流域雨量が溢水する箇所として市が「洪水ハザードマップ」を公表していたにもかかわらず「漏れて」? いたわけだったのか。市の中心部から離れた所では、政治力学も届かない場所だったからなのか。被害があってから改修工事の対象に格上げされたわけだ。我が家の被害は床下浸水で、水の引いた床下を10分ぐらいの「石灰消毒」をして一件落着。“災害は忘れた頃にやってくる”とはよく言ったものだ。
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◇古希のたわごと(7) =ゴルフ練習 中野時代それ以前= 【石川啓司】
◆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆
実は、市井のレッスン場に通ったのは、ゴルフを始めた時に高田馬場のビッグボックス、新宿駅小田急ハルクである。それぞれ10人程度の授業では、教えられる方には限界はある。それから中野時代の個人レッスンがある。3つのレッスン教室を経験したが、すっきり行かなかった。
やはりゴルフの基本、グリップ、アドレス、テイクバック、飛球線に沿ったスイング、インパクト、コースマネージメントは、“体系的に”その都度教えてくれないと頭に入らないし、身体に染みつかない。
始めた時、どう打って良いか分からずにいる。空振りをする、嫌だからいろいろスイングをいじる。先輩にも習う。ホールに近づきたいので、強打する。スライスする。たまに上手く飛ぶが、林、斜面からの脱出と忙しい。ちょろ、ダフり、トップ、シャンク、天ぷらと、パットも3~4と良いことなし。
多分これでは、108煩悩を切れない。ヘタの蓄積である。
このとき『キャスティング』の癖は、ゴルフを始めた時に、基本、両腕を円運動(半円?)でボールに当てに行くが、当たらないからと言って、右手を使い出すと容易に治らない。前傾をもう少し前にするのも良いのだが。基本のスイングに立たないからである。たまには真っ直ぐ飛ぶから基本の練習がなおざりである。チップインバーディも、紛れのホールインワンもある。しかしスコアは本物ではない。
「たかがゴルフ」、付き合い程度にやるのだから、上達しなくても、そこそこのラッキー・ショットがあれば楽しいのだ、と続けるのもまた良し。エンジョイ・ゴルフも良し。
「されどゴルフ」、練習と上達する糸口が見えると、ゴルフは上達するし、楽しくなる。
100をなかなか切れないと、若いうちは未だ元気があるが、年を取ってくると、上達を諦めるかも知れない。
もったいないが、染みついた癖となかなおさらばできない。『キャスティング』とおさらばするにはどうするのだ!
(続く)
◆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆
◇よろず評論(62) <お伊勢の森> 【鈴木迪雄】
◆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆
阿佐ヶ谷北1-25にある阿佐ヶ谷天祖神社(現在の神明宮)の旧社地がお伊勢の森と呼ばれる一帯で、阿佐ヶ谷駅北口から中野駅北口のサンプラザの前まで走る関東バスの停留所がその名を残す。
杉森中学校の一角に立つ案内板によると、「江戸名所図会には、12代景行天皇44年に日本武尊が蝦夷を征伐して凱旋の時、ここに休まれたので、尊の武功を慕って社をつくり神明宮としたと言う。
また、その後、建久年間(1190~1198)この土地に住んだ坂井兵部という人が伊勢神宮の参拝に出かけ、いまの三重県の能保野(のぼの)に泊まった夜、大神宮のお告げあり、伊勢の宮川から持ち帰った霊石を社に安置して御神体にしたとも書かれている。
祭神が「天照大神」で伊勢神宮と同じこと路から、土地の人は旧社地を「元伊瀬」と呼んでいた。その後も「お伊勢の森」といって親しまれる。
また、今の中野区役所から近い四季の森公園にあった通信隊の兵士がラッパの練習にきたのでラッパの森」とも呼んでいた。
天祖神社旧地と彫られた玉名と角桂形記念碑は神明宮に安置されている。
話は変わって、私は来年1月、米寿を迎える。生まれ東京都府豊多摩郡野方町大字上沼袋。
昭和19年3月、東京都啓明国民学校を卒業。
中学生となって戦時下の空襲を経験し、艦載機の機銃掃射の流れ弾で同級生が死亡。父母の郷里山口県三田尻に疎開して妹と海岸で遊んでいたところ艦載機が近くの飛行場に襲来し、あわてて岩陰に身を潜めた。急な疎開のため通学に徒歩一時間の曹洞宗系中学に編入したが、僧侶養成校のため同級生は三才年上の兄貴ばかり。ある日授業の前に同級生の一人が「お前は生意気だ」といって、唾を私の顔にかけた。身長の低い私は、すかさず平手を返した。級を制したからか級長となり思い出ある疎開地での生活だった。 おわり
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→ 早稲田イヴェント